佐世保戦国史年表 |
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西暦 |
年号 |
出来事 |
日本史 |
1443 | 嘉吉3年 | 宗家松浦氏が相浦に本拠地を移す。武辺城もこの頃築城か 宗家松浦13代盛が新豊寺に巨鐘を贈る。 |
足利義政が8代将軍となる |
1457 | 長禄元年 | 宗家松浦13代盛、朝鮮との歳遣船貿易を約定する。 | |
1467 | 応仁元年 | 宗家松浦13代盛没す、46歳。墓は中里町の東漸寺。 | 応仁の乱勃発 |
1490 | 延徳2年 | 瀬戸越に教法寺建立、大智庵城(宗家松浦14代定)もこの頃築城か | |
1492 | 延徳4年 | 宗家松浦14代定没す、 46歳。墓は竹辺町の阿弥陀堂。 松浦丹後守政(15歳)が宗家松浦15代当主になる。 |
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1497 | 明応6年 | 宗家松浦15代政の子、幸松丸(後の丹後守親)誕生。 | |
1498 | 明応7年 | 大智庵城攻め(平戸方による宗家松浦攻め) 〔平戸松浦弘定 対 松浦丹後守政〕 平戸方の勝利。 宗家松浦15代政、戦死(自害説)。墓は瀬戸越の志賀神社(現在は大智庵城跡) 宗家松浦15代政の妻と息子の幸松丸(1歳)は平戸方に人質として捕らわれる。 |
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1499 | 明応8年 | 平戸に捕らわれていた幸松丸が今福歳宮の祭礼時に旧家臣団により奪還される。 その後幸松丸は有田の唐船城で宗家松浦16代当主として育てられる。 |
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1500 | 明応9年 | 平戸松浦による佐々東光寺城攻め 〔平戸弘定 対 佐々拵〕 平戸方の勝利。 |
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1513 | 永正10年 | 志佐家内紛 | |
1515 | 永正12年 | 宗家松浦16代当主丹後守親が波多家より正室を迎える。 平戸の松浦弘定没す。 興信が跡を継ぐが大内家と共に京都へ上洛する。 |
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1529 | 享禄2年 | 平戸の松浦隆信が誕生。 | 龍造寺隆信誕生 |
1530 | 享禄3年 | 幕府の命により宗家松浦へ相神浦 佐世保 有田 今福 鷹島の旧領が返還される。 この時期、宗家松浦16代親が小弐家より鎮(しげる)を迎える。 |
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1534 | 天文3年 | 織田信長誕生 | |
1535 | 天文4年 | 宗家松浦16代丹後守親、相浦の飯盛山に築いた飯盛城に入城。 | |
1537 | 天文6年 | 豊臣秀吉誕生 | |
1541 | 天文10年 | 平戸の松浦興信没す。松浦隆信(12歳)が平戸松浦25代当主となる。 | |
1542 | 天文11年 | 第1回飯盛城の戦い。 〔平戸松浦隆信 対 宗家松浦丹後守親〕 宗家方の勝利。 前代未聞の丹州党の勝利 草の尾の戦い 〔志佐純次 対 松浦親(今福)〕志佐軍の勝利。 平戸家による鷹島攻め。 〔平戸松浦 対 大曲家〕平戸軍の勝利大曲氏は平戸に降伏 平戸・志佐軍による今福(梶谷城)攻め 〔平戸松浦&志佐家 対 松浦親(松園休也)〕 1日で城は落ち、松園は討ち死に、今福は平戸制圧下に |
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1543 | 天文12年 | 種子島にポルトガル船が漂着し、鉄砲が伝来する。 | |
1550 | 天文19年 | フランシスコザビエル等宣教師を乗せたポルトガル船が初めて平戸に入港する。 平戸隆信はキリシタンの布教を条件に大砲一門(バラカン砲)を得る 重臣の籠手田安昌、同 安経、一部勘解由がキリシタンに改宗。 |
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1560 | 永禄3年 | 宗家松浦16代丹後守親、有馬家より盛(さこう)を養子に迎える。 | 桶狭間の戦い |
1561 | 永禄4年 | 平戸で宮の前事件がおこる。 | |
1562 | 永禄5年 | 横瀬浦が開港される。 | |
1563 | 永禄6年 | 大村純忠がキリスト教に洗礼(日本初のキリシタン大名) 横瀬浦事件発生。 |
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第2回飯盛城の戦い。(相神浦二年の役)(永禄の役)ともいわれる。 これより約3年間にわたり〔平戸松浦 対 宗家松浦〕の長期戦となる。 半坂合戦〔平戸松浦 対 宗家松浦〕 八の久保の戦い 三つ丸館の戦い |
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針尾家が平戸方についたことから大村純忠が針尾伊賀貞治を攻める。 しかし、急を聞きつけた平戸氏が大村氏を撃破。 |
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1565 | 永禄8年 | 平戸松浦と宗家松浦の和睦。 宗家松浦は平戸松浦隆信の三男(九郎親)を養子に迎え。 丹後守親(九郎親)と名乗り宗家松浦17代当主となる。事実上の降伏である。 宗家松浦16代の丹後守親は隠居し、宗金を名乗る。 |
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1568 | 永禄11年 | 平戸松浦隆信隠居(41歳) | 織田信長が京都に入る |
1569 | 永禄12年 | 久津峠の戦い 〔大村家 対 宮村三河純種&平戸松浦〕平戸松浦側の勝利。 |
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1571 | 元亀2年 | 丹後守定(幼名:幸松丸)宗家松浦18代が誕生。 | 信長による比叡山延暦寺焼き討ち |
1572 | 元亀3年 | 佐志方城合戦 〔針尾家 対 平戸松浦〕平戸松浦の勝利。 針尾伊賀守の次男、針尾三郎左衛門が戦死相当ヶ原合戦 〔平戸宗家松浦 対 有田五郎盛〕 平戸宗家松浦の勝利。 飯盛城主の九郎親が佐世保城の遠藤但馬盛胤を龍造寺家に寝返ったとして討つ。 遠藤盛胤長男遠藤左近、次男弥五郎も討たれ。遠藤家は滅亡。 その後、丹後守九郎親に愛想を尽かし、宮村の宮村三河純種が大村家に寝返る。 |
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1574 | 天正2年 | 飯盛城主の九郎親が家臣の東甚助時忠と刺し違えて没す。 その後、東甚助時忠も他の家臣に討たれる。 丹後守定(4歳)が宗家松浦18代当主となる。 |
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1576 | 天正4年 | 宗家松浦先代の宗金親が大宮古社を遷宮して大宮姫神社とする。 | 信長が安土城(滋賀県)を築く |
1577 | 天正5年 | 宗金親没す(9月23日)享年80歳 | 信長が安土に楽市の制をしく |
1581 | 天正9年 | 笥瀬祝田原の戦い 〔有馬家(志佐純量)対 世知原修理&都蔵寺式部連合軍〕連合軍の勝利。 |
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1586 | 天正14年 | 井手平城の戦い 〔平戸松浦 対 有馬・大村・有田・波多連合軍〕 連合軍の勝利。 広田城の戦い 〔平戸松浦 対 有馬・大村・有田・波多連合軍〕 平戸松浦本隊の救援により連合軍は撃退される。 への峯峠にて平戸・大村両家の境界確立。 |
秀吉が太政大臣になる |
1593 | 文禄2年 | 宗家松浦18代定、朝鮮の役で戦死する。墓は相浦町の金照寺。 | |
1615 | 元和1年 | 一国一城令により多くの山城が破壊されたと思われる。 | 一国一城令 |
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