宗家相神浦 第16代当主
松浦丹後守親(宗金)
まつうらたんごのかみちかし そうきん
[1494〜1577(9月23日)]
 
幼名:幸松丸(こうまつまる)
法名:宗金(そうきん)
 

この人がいなければ佐世保の戦国時代はおもしろくない。宗家相神浦 第16代当主。
幼い頃、平戸家による大智庵城落城で父親を亡くし平戸へ人質として捕らわれたが、家臣により助け出され有田の唐船城で当主として育てられる。
相浦の愛宕山に飯盛城を建て復活を遂げる。その後20年余りにわたる平戸の攻撃に耐える。
数と兵器で圧倒的に勝る平戸軍の攻撃に対して何度も勝利しており、よほどに部下の信頼が厚く領内の結束が堅かったのではないだろうか。
また妻の多美野とは仲むつまじく暮らしたようで、80歳で宗金は死去するが、その6日前に多美野も死去している

佐世保市中里町
東漸寺墓地の上

型:地蔵塔
  佐世保市矢峰町
東漸寺墓地の上

型:地蔵塔
  佐世保市新田町
竹林寺跡地

型:五輪塔