葛(くず)の峠の合戦 宮の歴史を訪ねてより(一部書き加え)
宮村を支配していた宮村氏が滅んだので、1514年(永正11年)に、大村氏は家臣の大村純次(すみつぐ)を宮村に配置していた。ところが、純次の子の大村純種(すみたね)の代になり、大村氏に敵対している武雄の後藤氏についたため、本家大村純忠(すみただ)は宮村の小峰城に向け兵を出した。
時は、1569年永禄12年。
葛の港に上陸した大村方の軍勢は葛の峠を越えて小峰城を取り囲んだ。しかし、純種を助ける後藤貴明の援軍が来たので、葛の峠まで退却したところ、南風崎より上がってきた平戸松浦の大軍によって挟み討ちにあい激しい戦いとなった、数で圧倒する連合軍によって大村軍の敗色は濃厚だったが、大村純忠の家臣の大村源次郎純定(すみさだ)や小佐々弾正(だんじょう)小佐々甚五郎(じんごろう)がしんがりとして防ぎ戦い、大村純忠は無事大村へ帰還することができた。名誉の死を遂げた3人の墓は峠のふもとに今も残されている。
余談だが、小佐々甚五郎は天正遺欧使節の一人、中浦ジュリアンの父親である。