宗家相神浦
北野源蔵直勝
きたのげんぞうなおかつ
[???〜1567年]
松尾与三郎、丸田源蔵と並んで相神浦の強弓の名手として高名。
飯盛城 攻めの際、山の中腹から平戸の軍船めがけ矢を放ち、2町を越え船の目印に命中。さらに続けざまに武者2人を串刺しにし、船の船神様も射抜いた。また 半坂合戦 では 平戸隆信 の婿の奈留三郎左衛門を弓で討つなどの武勇を残す。
飯盛城 戦での活躍は 印山記 に書かれている。
平戸家の書物である 印山記 にこともあろうか敵方の武士の手柄を書きのこしているのは、希なことであり、北野の弓の腕前は敵の平戸方にとってもよほどのことだったのだろう。鉄砲や大砲などの最新武器で攻撃してくる平戸方に対して弓矢で対抗する姿は憧れるが現実は厳しかった。1567年平戸家の鉄砲隊の一斉射撃により 飯盛城 で討ち死にしている。