平戸松浦家家臣
紫加田美濃守
しかた みののかみ
[???〜???年]

美濃守は系図によると松浦第22代豊久公の第6子にして松浦始と云い、元松浦の分属である紫加田家の養子となり紫加田美濃守と名乗る。松浦第25代隆信が、相神浦丹後守親との間に永禄2年〜6年にわたり役を起こし、この時の先鋒として戦ったが、戦利あらず永禄6年11月、一族殆どが戦死した。しかし、当時3〜5才位の子を早岐に落ちのびさせており、その子が現在の紫加田または志方の祖となっている。

佐々町志方免の山中にある紫加田美濃守の館の下方に当時の馬場の跡と云われる平坦な畑地(約700坪位)がある。その馬場跡の東端に古色滄然とした椎の木があって永禄当時の戦いを一部始終観戦したものと思われ、土地の人はこの木を御神木として大切にしている。幹まわり6メートル余り、樹高20メートル余り、樹齢はおよそ700〜800年以上のものと推定され、北松一帯でも最大の巨木である。
この御神木の前に黒髪神社があり、紫加田一族の靈を祀っている。こちら⇒
美濃守の墓は東光寺墓地内にあり五輪塔の墓で法名「桂山嫩秀」と刻してある。いつ頃のものか不明だが、元々は里の作永衣料店の裏の畑にあったものを建築移転のため作永氏の東光寺墓地に移したものである。

 

長崎県北松浦郡佐々町
東光寺墓地内

型:宝篋印塔