東光寺坊 |
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伝 育 |
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でんいく | ||||||
[???〜1564年] | ||||||
佐々にある東光寺の豪僧。 志方の千人堂付近にあった庵寺で生まれたというが、その庵寺の所在は今のところ不明。 言い伝えでは伝育の母親が怪力で、八寸竹(周囲約25cmの竹)を親指と人差指の2本で握り潰したという、伝育でさえ5本の指全部でやっと潰したと伝えられている。 そのような母の遺伝であろう、伝育の身の丈は七尺(約2メートル12センチ)もあり、目は三角で全身毛むくじゃらだったという、現在においてもその背丈は稀であり、当時で考えるとよほどの風体だったのではないだろうか。 半坂合戦の際、平戸松浦軍に加勢して戦場におもむき数多くの敵兵を、樫の木棒で殴り倒すが、最後は矢で眉間を打ち抜かれて絶命する。 東光寺には伝育が使っていたといわれるナギナタが今でも保管されている。こちら⇒ |
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佐世保市八の久保町 民家の裏山 型:? |
長崎県北松浦郡佐々町志方免 千人堂内 型:卵塔ほか |
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