小弐家から宗家松浦への養子
松浦鎭
まつうらしげる
 
元の名を小弐鎭。小弐資元の4男で宗家松浦の丹後守親が平戸に対抗するため養子として迎え、松浦鎭と名を改めた人物である。しかし頼みの小弐家は永禄2年(1559)小弐冬尚(資元の長男・鎭の兄)が龍造寺氏に攻められて討死したことで小弐家は事実上滅亡する。後ろ盾を失い龍造寺を恐れた丹後守親は鎭を廃して、菰田に幽閉したのである。その後鎭は生きながらに無き人としてひっそりと暮らし、武士として無念の死を遂げたといわれている。
佐世保市菰田町
菰田ダムバス停近く

型:自然石