平戸松浦家家臣
岡甚右衛門
おかじんえもん
[???〜1586]

佐世保戦国史上最後の落城という悲劇の舞台となった井手平城の城主。平戸の松浦鎮信に命じられ、長男次男と共に城を守っていたが大村、有馬、有田、波多の連合軍に攻められ壮絶な戦いの末、親子共々討死した。

鎮信が戦死者を弔うために建てた薬王寺には落城から30年後の1616年、つまり30回忌に合わせて遺族が建てたと思われる供養碑があり、正面に岡甚右衛門、左に長男、続いて次男の名がきざまれている。この供養碑は佐世保市の文化財に指定されており、今にその名を残している。

ちなみに岡甚右衛門にはもう一人、岡平兵衛という末っ子がいた。平兵衛は江戸時代初期に母のための立派な五輪塔を建てており元は小森川畔にあったらしいが、移建されて今花立墓地内にある。

佐世保市新替町
薬王寺境内

型:仏石灯篭と碑石