平戸松浦家家臣
悪太左市
あくたさいち
[???〜1586年]
詳しい生い立ちは不明だが悪太左市(悪多々左市)の名は古書に度々登場する。そこには平戸家家臣として忠実に主君の命令を果たす姿が描かれており、早岐城では隆信の命をうけ佐々清左衛門、佐志方杢兵衛、中倉甲右衛門と共に遠藤但馬守の嫡男である右近を暗殺している。佐志方城の戦いでは大将である針尾三郎衛門の首と捕るという活躍を見せるがその後の消息は不明。薬王寺境内にある供養塔に「大村道仙法士悪田左市」の名があることから1586年(天正14年)におきた井出平城の戦いで戦死したとも思われる。

ちなみに『悪』という文字はいかにも「悪い人」のイメージに直結しがちだが当時は現代語とは意味合いが少し違い「悪=強い・逞しい」と言う意味合いもあった。