志佐家14代直谷城城主
志佐 純意
しさ すみもと
[???年〜???年]

志佐家12代当主、直谷城城主の志佐純昌(しさすみまさ)の弟である純意(すみもと)は領主である兄を片腕となって支えていた。しかし城主の死後、城主の子の純量(すみはる)がまだ11歳だったこともあり、領内で跡目騒動が起きた。重臣の多くは信頼のおける純意の城主を望んだが、純意は純量の城主を決定する。ところが純量は母親の実家である有馬氏へ母親と共に身を寄せることになり、その間、純意は平戸の松浦隆信の息女を嫁にもらい、平戸方との関係を強める。
城主となった純意は、その後、有馬氏の下で成長した甥の純量を正統な城主として直谷城に呼び戻したが、平戸色の強い領内とそりが合わなかったのか、純量は再び有馬へ戻り、直谷城を占拠しようと有馬から300の兵を借り直谷城を夜襲し、占領することに成功する。一時は城主の座に復帰した純量だが、すぐに純意を慕う家臣や、平戸松浦軍から攻められ直谷城を追い出される。
その後再び城主となった純意だが、時は戦国末期、秀吉の九州平定のための島津攻めへ、松浦鎮信や有馬晴信らと共に出陣を命じられる。さらに朝鮮侵攻の命を受け名護屋城へ出向するも病にかかり、志佐に戻る羽目となり、朝鮮には長男の純高(すみたか)が渡海した。志佐にもどった純意は病が癒えずに死去し。子の純高もまた朝鮮において戦死してしまう。
乱世の時代。甥である純量と対峙せざる得なかった純意は家臣からの信頼もあつく、情の深い武将だったのだろう。歴代当主の並ぶ墓石郡に純量の供養塔が残されていることからも純意の純量に対する想いが伝わってくる。