平戸松浦 第26代当主
松浦鎮信(法印)
まつうらしげのぶ ほういん

[1549〜1614]

 
法名:法印

松浦隆信の長男で平戸松浦の26代当主。父親の隆信の激しい性格とは異なり冷静な性格だったようで、隆信の隠居後、隣国からの侵攻を着実に防いだ。そのころ肥前で強大な勢力を誇った龍造寺隆信の傘下に一時入るも、龍造寺隆信の死後、再度独立し領土の拡大を図っている。その後、秀吉の九州侵攻の際には、唯一秀吉に従わなかった島津氏への侵攻を大村氏と共に領土安堵を約束に秀吉軍として従軍。その後の朝鮮出兵にも 第1軍として従軍。秀吉の死後起こった関ヶ原では一時西軍につくも大村氏の説得もあり最終的には東軍につき、ことなきを得る。
また、一時は西軍についた裏切り者との疑念を払拭するため、自らの城を焼き払うという。徹底した防御策で徳川家からの信頼も得ている。

父の隆信が広げた領地を隣国の侵攻から防ぎ、龍造寺隆信、豊臣秀吉、徳川家康と次々に現れる巨大な勢力に時には巨従したり間を取ったりと冷静で的確な手腕は父の隆信以上かもしれない。鎮信もまた隆信と並び称される平戸家の基盤を築いた名君である。