主郭(しゅかく)現在地:水道局の浄水場

この絵図ではここに飯盛城と呼ばれる建物があったと想定して描いている。
飯盛城跡地ともいわれる木宮神社からは10メートルほど高く山の斜面側の奥まった場所にあり、背後に急斜面の愛宕山を背負う様な位置にある。印山記の「後は古木が茂って陰をつくり」の表現にも合う場所で、「雲にそびえるようであり」とはいささか誇張した言い回しだが、当時の状況からすれば数少ない高地にある建物で川岸から見上げればそのような表現にもなるかもしれない。「東は岩石」(東側川岸一帯の急峻な岩石のこと)「麓は大河」(相浦川)」「西は青い海」(南九十九島)の表現もこの場所を中心に考えると納得がいく。そして愛宕山で水が湧き出る上限標高50メートルのライン上に位置しており、館を形成するのに十分な広い平場もある。
古老の話によると昭和16年第二浄水場の施設が海軍の手によって建設されるときにそれまであった石塁も破壊され古い宝篋印塔なども破棄されたという。また土地の人はここを倉屋敷と呼ぶ人もいて、江戸時代にはそのような屋敷があったのかもしれない。
今回の絵図を作る上で最も参考にさせて頂いた故・橋本智さん作成の「相浦町史跡案内マップ」のなかでもこの場所を幻の飯盛城址としてあり、敷地内の石垣の上に土塁もみられると記されている。


主郭跡地と想定した浄水場 主郭へと上がる坂道

故・橋本智さんが作成した「相浦町 史跡案内マップ」


 
絵図
HOME