白魚渡瀬(しらごわたせ)現在地:飛び石

現在の相浦川の飛び石があるあたりを当時は白魚渡瀬と呼んでいた。当時この辺りは川幅が狭く現在の半分もないほどで、大雨以外通常は馬で渡れるほど浅かった。
遠藤但馬守が襲われた場所でもある。
半坂峠を突破した平戸松浦は拝別当(現在の下本山交差点付近)で川を渡り、陸路を通ってここから攻めた。拝別当から飯盛城までの川岸は絶壁の崖に阻まれ進入不可能。東南側(絵図の左下)から先は当時は広大な入り江が拡がっていたため、陸から攻めるにはこの場所しかなかった。
古書の記録にある平戸方による川岸からの鉄砲を使った攻撃もこの場所ではないかと思われる。弓矢や弾丸が飛び交う激しい戦いがこの場所で行われた。
平戸が放った石火矢(旧式大砲)による攻撃で宗家松浦自慢の弓の名手3人が櫓(やぐら)の上で戦死したのもこの辺りだと思われる。


飯盛城大手門へ続く白魚渡瀬 甲冑の越から見下ろす白魚渡瀬。河原に陣を張る平戸勢に向けて矢を放っていたのだろうか
飯盛城が実在していた頃にはまだ飛び石は無く、江戸期になって整備されたものと思われる 飛び石の説明板

 
絵図
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