西方寺口(さいほうじぐち)現在地:飯盛神社敷地内

建長2年(1250)臨済宗洪徳寺の住職であった帰一香林の隠居寺「帰一庵」(のちの西方寺)があったと伝わる場所。
その後、地頭赤崎氏により赤崎岳の北麓に移された。長禄元年(1457)赤崎伊予守が佐世保城主となったことに伴い、赤崎氏が菩提寺として現在の場所(八幡町)に再興した。
この場所に隠居寺があったのは遙か昔の話で飯盛城実在時にはすでにここに寺は無く、西方寺口という呼び名だけが残っていたようだ。

飯盛神社 飯盛神社からみた大曲家墓地のある小山

 
絵図
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