洪徳寺(こうとくじ)現在地:小川邸(門前坂の石段を上りきった奥の平場)

元々洪徳寺はこの場所に室町初期に開山されていたが5代目の住職以降断絶しており、平戸との戦の期間中は廃寺の状態だったと思われる。
平戸松浦と宗家松浦が和睦した年でもある永禄8年に中里村本山にあった宗家松浦の菩提寺である「曹洞宗新豊寺」がこの場所に移される。それ以前にあった「臨済宗洪徳寺」の寺号のみを引き継ぎ「曹洞宗洪徳寺」として新たに創建された。事実上平戸の支配下に置かれたこの地の新たな宗教上の一拠点として創建されたと思われる。
その後、明治政府の神仏分離令により明治5年にそれまで竹林寺があった現在の場所に移った。
現在も境内にあった池の跡など、その名残を残している。


洪徳寺跡地へ上がる参道 洪徳寺境内
洪徳寺跡地に建つ石碑 洪徳寺の池の跡
洪徳寺跡の上部山中にある墓地跡 墓地跡に横倒しになっていた五輪塔

 
絵図
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