東の砦 現在地 通称:みかん畑
昭和56年市教発行の「中世山城分布調査報告書」ではこの場所を飯盛城としている。 現在でも階段状に大規模な古い石塁がみられ、斜面に沿った土塁跡も見てとれる。通称みかん畑とも呼ばれる場所で、城跡を後世に畑として利用していたのか、中世から畑として利用していたの、それとも中世には何もなかったのか疑問である。 今回の絵図では最上段の平場を東の砦として、下の階段状の石塁は畑と想定して描いている。