副郭(ふくかく)現在地:木宮神社がある平場

平成9年市教発行の「武辺城跡発掘調査報告書」の中で吉福氏はあくまで私見として「飯盛城の中心が木宮神社から門前にかけての一体にあったことが想像できる」としている。吉福氏は周辺の山城の特徴を残した遺構などから推測されており、確かに印山記の文面とも位置的に当てはまる場所で現在最も有力な説かもしれない。
しかし現在神社のある平場に限って言うと、主郭があったにしては手狭であり、主郭を置くならばやはり奥まった場所ではないかとの私なりの推察から今回は副郭とした。だがこの場所は川岸と中里方面の平地を見渡せる絶好の地であり、何らかの重要な施設があったのは間違いないと思われる。
木宮神社は相浦谷の開拓の祖といわれる武辺胤明を祀ったと伝わる神社で元々は相浦川河畔にあったが、後に胤明の遺言に従い相浦谷を一望できるこの場所に移したのが江戸時代だとされる。したがって飯盛城が実在していた頃にはまだ無かったのではないかと思われる。
またこの辺りからは古墳も見つかっており、古代から神聖な場所として利用されていたようだ。


木宮神社の鳥居 木宮神社

 
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