屋敷間(やしきま)現在地:佐世保工業一部構内 及び泉福寺市営団地付近 現在の泉福寺市営団地付近の小字を「屋敷間」ということから家臣の屋敷もその辺りにあったとされており絵図でも数軒の屋敷を描いてはいるが個人的には家臣の屋敷は現在の泉福寺一組公民館がある市営団地よりも一段上がった台地の上にあったと考える。水害での被害や当時の縄張り状況を考えると人々の生活の基盤は台地の上であり、低地には田んぼや湿地帯が拡がっていて、あったとしても数件の民家がぽつぽつとあっただけではないだろうか。 |
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絵図 |