主郭(しゅかく)現在地:大智庵城跡公園
松浦史料博物館所蔵の「大智庵城古図(表題なし)」ではこの場所を「本城」としている。
市教編集の昭和57年発行「中世山城分布調査報告書」によると現在の主郭の規模は「東西27m南北34m楕円状に削平」としてあり、古図に描かれた東西十五間(27m)南北拾五間半(28m)と比べると。東西は同じで南北が6m伸びている。これは近代になって造られた登城路による影響なのか、測定位置のズレからくるものなのか、どちらにせよ江戸中期に描かれた古図の規模と現在もさほど変わっていないことが判る。つまり戦国時代に山城として削られ造成された平場の規模が現在も変わらず残っているということになる。
次に「本城」と銘打ったこの場所に当主の館はあったのかという問題だが、個人的には館を建てるには少々狭いのではないか思う。当時の山城の一般的な形式でいうと麓に館を置き、有事の際に山頂の砦に立てこもるといったものが主流であり、大智庵城もそのような造りだったとの予想から、絵図では主郭には物見櫓と簡素な建物があったと想定して描いた。 |