大手門(おおてもん)現在地:瀬戸越3丁目10の駐車場空き地付近

松浦史料博物館所蔵の「大智庵城古図(表題なし)」には「大手口」と記されている。虎口のような堀が掘られていたとの説明書きも書かれており、江戸中期まではその形跡が残っていたようだ。現在の国道からの登城口は佐世保工業前横断歩道の辺りから登るようになっているため、大智庵城の大手門もここにあったと思われがちだが、この道は戦後に招魂碑が建てられた際に整備されたものでそれまではなかったことが昭和22年撮影の航空写真からでも確認できる。やはり当時の大手門は古図が示す主郭から見て東北側の位置にあり、泉福寺(泉福寺一組公民館)から下って突き当たった場所辺りだと思われる。大手門から泉福寺方面へ延びるその道はいわば大手道のようなもので、城下町はそちら方面へ開けていたのではないかと推測できる。地元の方の話しによると以前は大手門跡付近から主郭ヘ東側沿いに登る里道があったという。大智庵城現存当時から使われていた道だったのかもしれない。


大手門付近 大手門近くにある伽藍さまの石

大智庵城古図(大手口の記述がある箇所) 大智庵城古図(大手口の記述がある箇所の拡大図)
泉福寺方面から見た大手門 泉福寺方面から見た大手門

 
絵図
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