文珠の辻砦(もんじゅのつじとりで)現在地:紋珠岳

昭和55年発行「日本城郭大系」にはこの場所を「瀬戸越城」として紹介してあり「堺木峠の関門を足下にして立つ山で頂上に立つと相浦川の河口平野はもちろん佐世保方面をも一望できる要衝で谷を一つ隔てた東方に大智庵城のあった城山がある」としている。
また松浦史料博物館所蔵の江戸中期に描かれた「大智庵城本丸ノ図」は東西南北の4方向から見た側面図であり、どうみても現在の特徴的な山の形と見た目が変わっていない紋珠岳である。つまりこの場所はその時々によって「大智庵城」と呼ばれたり「瀬戸越城」とよばれたりしているようだ。
それらをふまえるとこの場所は主郭のある大智庵城の西側一帯を見張る砦、または支城として機能していたと思われ、大智庵城縄張りの一角を為す重要な場所だったと推測できる。残念ながら頂上付近は現在立ち入ることができない。


『相神浦大野村ノ内大智庵本丸ノ図 北ノ方』松浦史料博物館所蔵。文珠岳の絶壁がよく描かれている

北側から見た現在の文殊岳 今でも確認できる文殊岳の絶壁

今でも確認できる文殊岳の切り立った岸壁

 
絵図
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