紋珠川(もんじゅがわ)現在地:現在も崖沿いを流れている 松浦史料博物館所蔵の「大智庵城古図(表題なし)」に描かれている東から北へ城を取り巻くように流れる水路は現在の紋珠川なのかそれとも相浦川かという議論がある。相浦川とする根拠のひとつに削られた段丘の規模から考えて相浦川程の大きな川の流れでなければ説明が付かないとのことだが、私が思うにそれは太古の話しで、大智庵城現存の頃には相浦川の流れは現在とさほど変わらないのではないだろうか。もうひとつ誤解を招いた原因ではないかと思われる要因に古図の写し間違えがある。現在出回っている古図(写し)を見てみると東側の川の側に「〜大川ト有之」と書いてある。だが古図の現物を確認したところ「〜大門ト有之」と書かれてあった。「この辺りの名を大門という」と書かれてあるのだ。大手門があった事に由来するのだろう。実際現在も付近に住まれている山本家の屋号はダイモンといい、その辺りでは唯一の士族の家柄であるそうだ。古図に間違えて書かれた「大川」の意味を現在の紋珠川の姿を比べて、相浦川説が浮上したのではないだろうか。もしそうならば今後そのような誤解を招かないためにも、現在出回っている大智庵城古図の書き間違えは修正したいものである。確かに今の紋珠川は水量も少なく一見して川があることも分からないくらいだが、それも宅地化の影響であり、絵図が描かれた江戸時代ましては城が現存した室町時代は今より地盤も低く川幅も広かったのではないだろうか。 |
||||
崖下を流れる文珠川 | 崖下を流れる文珠川 | |||
絵図 |