ごあいさつ
はじめまして。このホームページは、私の生まれ育った町、佐世保の戦国時代の様子を様々な書物や、インターネットなどの情報をもとに、自分なりにまとめたものです。そのため、私の妄想が先走り、事実と異なる記載があるかとも思いますが、それはそれでつきあってやってください。
私が佐世保の郷土史に感心をもったきっかけは、広田城の存在でした。
子供の頃の話です、よく遊んでいた山の中で、ある日不思議な洞窟というか人工的な洞穴を発見しました、何が不思議だったかというと、普通ならば私の家の近くにある洞窟といえば防空壕でした、現に反対の山の斜面にはいくつかの防空壕の跡らしきものがありました。しかしその時見た洞穴は真下には大きな川が流れている滅多に人が入っては来れない、どう考えても防空壕を作るべき場所ではない急斜面にあったのです、かすかな記憶から思い出すと、穴の周囲には大きな岩がしきつめられていて奥へは入れず2〜3メートルのところで土砂が落ちてきたのか、ふさがっていました。
そんな子供の頃の記憶も徐々にうすれていき、30才を越えた頃、「ふるさと歴史めぐり」という本を眺めていたところ、広田城という文字に目が止まりました。
恥ずかしながら今まで自分の家の近くの山に城があったとは知りもしませんでした、自分が小学校の頃先生に教えてもらった記憶もなく、きっとその頃はまったく興味もなく聞き流していたのでしょう。
自分たちがしょっちゅう遊んでいた山の中にそんなところがあったなんて、とすればあの不思議な洞窟は城に関係した隠し通路みたいなものじゃないか!? そして私は自分の生まれた町に城が在ったという喜びと、昔の謎を解き明かし、何かしらの大発見があるんじゃないかというワクワクした気持ちで、20数年ぶりに山の中へ足を踏み入れたのです・・・
それから、広田城の歴史を調べ、城主の名を知り、戦があったこと、城とはいうものの砦てきな役割をもつ山城だったことを知り、そこから、早岐地区には他にもいくつかの山城跡があること、更に佐世保市全体では、30以上もの山城があったらしいということも知りました。
そこを拠点にして幾人もの武士達がこの地を駆け、いくつもの戦を繰り返しては領土の拡大を図り、それぞれの思惑の中、それこそ死に物狂いで生きていたんだということを想像できるようになりました。
今でも土地の名前や古文書など現在も当時の人々の息吹を感じられるものが残っており、きっと未だに発見されていないものもたくさんあるのだろうと思います。
発見されるのを待って、私のすぐそばで眠っているものもあるかもしれません。
専門家の方々の地道な努力と、勤勉さに敬意を表して、新たなる発見を待ち望んでいる私です。
山の中へ足を踏み入れてからの話ですが・・・
結局は不思議な洞穴は見つかりませんでした、もしかして土砂で完全に埋まってしまったのかもしれません。今になって考えるとあれは洞穴ではなく、川を渡り船から下りて斜面を上ってくる敵兵を上から迎え撃つためにつくられた兵士のたまり場か矢石置き場みたいなものだったのかもしれません。