相浦川(あいのうらがわ)

飯盛城があった当時は現在の上相浦駅から九州文化学園がある丘の下辺りまで広がる田園地帯は海であった。現在の飛び石がある白魚渡瀬から先は湾が広がっており今とは全く違う景色だった。対岸の丘の上から見る飯盛山は眼下に広がる湾に映り込み、まるで逆さ富士のような美しい風景だった事が想像できる。


江戸初期に作られた正保絵図。原始の相浦川河口付近の姿が確認できる貴重な絵図

元禄絵図。元禄時代になると新田干拓が完成していることが分かる

 
絵図
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