佐志方城主
針尾三郎左衛門
はりおさぶろうざえもん
[???〜1573年]

元亀3年父の伊賀守亡きあと、針尾家の当主となり佐志方城にて弟九左衛門とともに針尾島の統治を行った。なお針尾城には嫡子の太郎兵衛昌冶をおいた。その後、松浦隆信は家臣の中倉甲右衛門悪多田佐市の両名を佐志方城に送り込み針尾島の直接支配に乗り出した針尾島の完全統治を自任する三郎左衛門としてはそれを不服とし遂に両名を平戸に追放し大村純忠に寝返った。隆信は早速それを理由として佐志方城を攻めたが城の守りは固く松浦勢も退却を始めた三郎左衛門はそれを好機として深く追い詰め、部下とも離ればなれになったところ、待受けていた中倉、悪多田の両名に殺害された。時に天正元年1月、行年40歳であった。

針尾島の完全統治だけを願い父や兄弟達と共に激動の時代を生きた三郎左衛門。最終的には強大な勢力により一族は島から追い出され佐志方善芳に奪われることになる。しかし針尾島には今も針尾一族の魂がその地名となり、生き続けている