平戸家→後藤家→平戸家家臣日宇佐世保領主
後藤 惟明
ごとう これあき

[1545年〜没年不明]

実父は平戸松浦氏の松浦隆信。後に武雄の後藤貴明の養子となる。平戸松浦氏と後藤氏は、当時島原の有馬氏の影響下にあった宗家松浦氏と大村氏をそれぞれ攻めるという利害の一致により松浦隆信の三男惟明が後藤貴明の養子となり両家は提携を結んだ。しかしその後 平戸松浦氏が宗家松浦氏を勢力下に置くと、両者の提携の必要性がなくなり、更に貴明に実子・晴明が生まれた為、家督相続を巡って貴明・惟明親子が相争うことになり貴明は佐賀の龍造寺氏に援軍を求め、遂に白水原の戦いで惟明軍を打ち破った。その結果、貴明は龍造寺家から養子家信を迎え、事実上武雄は龍造寺領となり惟明は平戸へ戻ることになった。
現在の天神公園には御前畑と呼ばれる場所がある。武雄から平戸へ戻った惟明はその後広田城の戦いなどに平戸松浦の援軍として参戦したのち、この地に館を建て日宇、佐世保を領したといわれている。また平戸の稗田上(ひえだうえ)の丘にある惟明の墓も、もとはこの地にあったと伝えられている。平戸松浦隆信の三男として生まれた惟明。武雄へ養子としてやられたが願い叶わず平戸へ戻り日宇に居住することになった、今は故郷の平戸で安らかに眠っていることだろう
ちなみに日宇の守り神である白岳神社を建立したのは惟明と社伝では伝えられる。